時の記憶ーなつかしの指宿ー
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4668 イタヤ貝漁 昭和30年代(写真提供者)指宿市昭和30年代前半、指宿で盛んに行われていたイタヤ貝漁。地元では、「いったらげ」と呼んでいた。昭和33年7月20日付けの朝日新聞に、「錦江湾、イタヤ貝漁まっ盛り」と写真入りで指宿沖の漁の様子が伝えられた。記事によると「桜島の浮かぶ錦江湾はいま、“イタヤ貝”漁の真っ盛り、主な漁場は、薩摩半島指宿沖の約2キロ。朝7時になると大小230余隻の船が動力船に引かれ威勢よく出発する。どの船も魚場確保の一番のりを目指して死物狂いにつっ走る。まるで源平合戦を思わすような壮観だ。年間の水揚げ高は780トンから900トン。指宿市では外貨をかせぐただひとつのものだけに貴重品扱い。」とある。現在では、残念ながら、イタヤ貝の姿を見かけることは少なくなった。当時の指宿市誌でも「今やこのイタヤ貝、どこにいったのか影も形も見せない幻の貝となってしまった。」と結んでいる。

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