時の記憶ーなつかしの指宿ー
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109交通100昭和9年、喜入から指宿まで鉄道が開通。「日本一渚に近い駅」と、当時は話題になった。101 旧駅舎がなくなる直前の1枚。102 昭和9年12月19日に開業した宮ヶ浜駅も、この年の3月8日、無人駅となった。103 博多−山川間を走るビジネス準急「かいもん号」。車体は淡黄色のボディに赤のライン。6時間52分で博多−山川間を結んだ。104国道226号も道幅がまだ狭かった。その後、埋め立てが進み現在の姿に。105バス1台通るのがやっとだった道路。埋め立てが進められ、昭和42年2月には道路が完成した。106 昭和35年にできた開聞駅。1日8往復の運行で、通勤、通学、観光に利用された。107 昭和43年7月、山川−根占航路が開設。昭和55年までは、山川−佐多航路も運行されていた。108 国体や植樹祭の時に昭和天皇が来鹿された。風景109 明治時代、西郷隆盛も訪れた鰻温泉。日本観光映画社寄贈写真から転載。110 昔の隼人松原・白砂青松の今和泉海岸は、もう見ることの出来ない風景。111太平次公園も渚の波消しブロックも何も無かった自然の指宿。112 現在の砂むし会館砂楽のあたりから、約2kmにわたって砂浜が続いていた。113 夏の暑い日、友人3人と涼を求めて魚見岳に登った時の思い出の1枚。途中で後ろを振り向き撮影。114 絵はがき原稿に撮影された1枚。現在より広い砂浜に驚かされる。115 魚見岳から見た知林ヶ島。知林ヶ島にはまだ畑があった。116 県外から病床の母の見舞いに帰郷。故郷の思い出にと撮影した1枚。117 長崎鼻方面から臨む開聞岳。手前の畑には芋ツボも。現在は金魚草のお花刈りが行われている。118 白い日傘。湖面に浮かぶボート。のどかな池田湖を写した1枚。119 整備される前の長崎鼻の様子。灯台があるので昭和32年以降に撮られた1枚である。

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