時の記憶ーなつかしの指宿ー
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3141 太平次のお隣さんはライオン 昭和34年の秋(写真提供者)木之下 三美42 丈六公民館にて 昭和4、5年(写真提供者)新宮領 守昭和30年、旧指宿市では、魚見岳の麓に熱帯動植物園を建設する計画があり、昭和33年3月14日、福岡市動物園から4頭のライオンとサル(数は不明)が指宿に贈られた。ライオンの名前はジュリー、松子、竹子、ケンヤ。ジュリーはほかの3頭の親だ。ミニ動物園は、現在の湊児童公園付近にあったらしい。昭和33年3月31日、福岡市動物園で火災が発生し、ライオンが焼死したため、市は、同年10月2日、松子を福岡市動物園に送りかえした。しばらくケンヤと竹子は松子を探して淋しがっていたという。親のジュリーは、当時24歳と高齢。同年9月のはじめから悪性の腫瘍ができ、それが原因となって死んでしまった。この写真に写っているのは竹子である。

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