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- »2014年3月19日
- 方柱四方梵字
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十二町中小路の金毘羅神社の鳥居の脇にある板碑の側面には,4人の仏の名前が太い梵字で刻まれている。供養塔の1種であろう。東面:摩利支天 身体を守り戦いに勝つための仏。 西面:阿弥陀如来 極楽浄土に導く仏。 南面:阿閃如来 […]
- »2014年3月19日
- 稲荷神社
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海商・濵﨑家第5代の湊太左衛門は、大変信心深い人物だったようで、寛政10年(1798)魚見岳南面の岩窟に私財を投じて風穴神社を創建した。また,湯権現の創建も太左衛門による。湊地区にある稲荷神社の創建も太左衛門が行ったと伝 […]
- »2014年3月19日
- 五人番とアコウ
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太平次公園にあるアコウの巨樹は,推定樹齢300年。もともとは江戸時代に五人番が置かれた大渡海岸に生えていた。五人番とは,山川港に入る異国船を見張る場所。5人で見張りをしていたから「五人番」と言う。このアコウは平成18年の […]
- »2014年3月19日
- 摺ヶ浜海岸
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砂むし温泉のある摺ヶ浜。『みだれ髪』で知られる与謝野晶子も訪れ,「白波の下に熱砂の隠さるる不思議に逢えり指宿にきて」と詠んだ。近年,摺ヶ浜の西側にある山には,90℃を越す泉源がいくつもあり,熱水が海岸へ流下して自然湧水し […]
- »2014年3月19日
- 潟口の船溜り
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島津の殿様は,船で二反田川をさかのぼり,殿様湯まで湯治に来ていたという。天保14年(1843)には,指宿港の北側約1㎞のところにある二反田川の河口,通称「潟口」に船溜りが築造される工事が行われており,現在もその一部が残っ […]
- »2014年3月19日
- 山川港
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山川湾は約5,700年前の火山噴火でできた。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁。東側の火口壁が壊れて海水が流入し現在の形になった。湾曲した入り江で,湾内は砂嘴によって外海と区切られている。このため,湾内には波が入り […]
- »2014年3月19日
- 山川薬園跡及びリュウガン
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江戸時代,島津氏は山川・佐多・吉野の三ヵ所に薬草園を設け,薬用植物の栽培に努めた。そのうち最も古いのが,万治2年(1659)に開設された山川だ。今も残るリュウガンは,当時栽培されたものといわれ,推定年齢300年以上。 『 […]
- »2014年3月19日
- 旧正龍寺跡墓石群
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正龍寺が開かれた年代は不明だが,明徳元年(1390年),京都五山の虎森(こしん)和尚が再建したと伝えられる。以来数百年,多くの名僧を輩出。京都の儒家・藤原惺窩(せいか)をも驚かす学問的水準の高さを誇り,“薩摩文教の府”と […]
- »2014年3月19日
- 正龍寺宝珠付角柱石塔婆
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“石塔婆”とは,供養のために建てられたいわば石の記念碑のこと。この塔婆には,阿弥陀三尊・釈迦三尊・金胎大日如来を意味する梵字が刻まれている。銘文によれば,□源上人なる人物が,戦国時代の永禄10年(1567年),山川に21 […]
- »2014年3月19日
- 成川板碑
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板碑とは,仏像や仏教に関する文字を刻んだ石塔のこと。鎌倉時代に関東で誕生し,武士の移住に伴って全国に広まった祈りの形だ。成川板碑のある高台は,昔成川を治めていた鎌田氏の居城跡と伝えられ,今でも空堀が残る。板碑には,“西国 […]
- »2014年3月19日
- 成川十一面観音座像及び石殿
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永禄9年(1566年),当時成川を治めていた鎌田政成によって建てられた。石殿は高さ104cm。なかには観音を彫った板石が納められている。屋根には次のような銘文が記されている。「十一面観音を建立し奉る。願主は鎌田但馬守,法 […]
- »2014年3月19日
- 地頭仮屋跡石塀
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山川庁舎を取り囲む石塀は,江戸時代のもの。かつてここには,山川郷の政治を司る地頭仮屋があった。地頭仮屋には,政治全般を行う曖(あつかい。郷土年寄とも言う),事務や検察,訴訟などの仕事を担う横目,郷内の武士の指導や仮屋の警 […]
- »2014年3月19日
- 河野覚兵衛(こうのかくべえ)家墓石群
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河野家は江戸時代,薩摩藩の貿易に一役買った山川の豪商。代々「覚兵衛」と名乗る家柄だった。奄美・琉球から得た黒砂糖や交易品を大阪方面に運び,財を成したと伝えられる。河野家の墓は福元の墓地にあり,初代から7代までの歴代覚兵衛 […]
- »2014年3月19日
- 河野覚兵衛(こうのかくべえ)屋敷跡石塀
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河野家は江戸時代,薩摩藩の貿易に一役買った山川の豪商。代々「覚兵衛」と名乗る家柄だった。奄美・琉球から得た黒砂糖や交易品を大阪方面に運び,財を成したと伝えられる。河野家の屋敷跡には山川石でできた石垣が今も残る。その前の通 […]
- »2014年3月19日
- 利永の力石
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その重さ97.6㎏。ちょっとやそっとでは動かない。昔,村の青年たちはこの石を持ち上げ,担ぎ,運び,力を競うものだった。力石は一つの通過儀礼。ほぼ米俵ほどの重さの石を持ち運ぶことは,一人前の証だったのだ。力石は,戦前には山 […]
- »2014年3月19日
- メンドン
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山川の利永地区で1月(第3日曜)に行われるメンドンは,数ある伝統行事の中でもかなりのインパクトをもつ奇祭。伊勢講の神輿が集落内を回る途中,グロテスクに変装したメンドンたちが現れ,伊勢神のご利益に預かろうと集まった人々を奇 […]
- »2014年3月19日
- 成川南方神社神舞
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南方神社の神舞(カンメ)は,“慶安2年(1649年),島津久光の前で演じられた”との記録があることから,360年以上前には成立していたことがわかる,伝統ある舞だ。現在では,保存会によって鬼神舞,踏剣など14の舞が伝承され […]
- »2014年3月19日
- 利永琉球傘踊り
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その名のとおり,琉球との歴史を物語る郷土芸能だ。江戸時代,琉球使節団一行が薩摩に上る際には,山川港に滞在し,成川~大山~利永を通って枚聞神社に参詣した。利永地区の人々が一行の姿に接する機会は多かったのではないだろうか。現 […]
- »2014年3月19日
- 石敢當
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T字路などの突き当たりに設けられた,魔除けの石標。町中を徘徊する魔物が,突き当たりを直進して屋敷内に侵入するのを防ぐ役割をもっている。魔物は石敢當に当たると砕け散るという。そのルーツは古代中国で,沖縄にも多くみられる。石 […]
- »2014年3月19日
- 山川石
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山川の福元周辺でしか採れない,淡い黄色をした石。学名は溶結凝灰岩。見た目が美しく,のこぎりで切れるほど柔らかいが,風化に強いため,石垣や墓石として用いられた。遠くは奄美諸島や京都まで運ばれている。江戸時代には,島津家の歴 […]