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ホーム > 新着情報 > 2014年3月

»2014年3月19日
池田湖オオウナギ群棲地
池田湖はオオウナギの群棲地としても知られる。オオウナギは,アフリカ大陸東岸から東南アジア,中国大陸南部の広い範囲に生息しており,日本は生息地の北限。サケと同じく回遊魚で,産卵場は北赤道海流州域と推定されている。気性が荒く […]
»2014年3月19日
刻み地蔵
刻み地蔵は,池田湖の畔にある洞窟に彫られている。伝説によると「清見城の城主池田信濃守(いけだしなののかみ)が知覧の佐多伯耆守親久(さたほうきのかみちかひさ)に攻められた時,池田信濃守の家老の息子は城主の夫人や姫を連れ出し […]
»2014年3月19日
小浜の馬頭観音
池田には,平安時代の末期「宇治川の先陣争い」に召されたという,名馬「池月」の伝説がある。「昔,池田湖の畔にすばらしい親子の馬がいた。やがて子馬は捕えられ「池月」と名付けられた。母馬は子馬を探し続け,ある日,湖面に映った自 […]
»2014年3月19日
池王明神
池田湖畔に祀られている池王明神には次のような伝説がある。「往昔,池田村の内,池端門の農夫四郎といへる者の祖先某,一日,某家の婚礼に往くとて池辺を通行せしに,人頭龍身なる者,水渚き菰蒲の叢中に臥居たりしかば,某,短刀を抜き […]
»2014年3月19日
菅山の方柱板碑
菅山の方柱板碑は,天文18年(1549)に建立された。碑の正面に直径5cmの「○」(円相:えんそう)が彫られ,その中に「心」の字が刻まれている。この「○」は禅宗で悟りのシンボルとして描かれるもので,心が完全に満たされてい […]
»2014年3月19日
鳥越堀切と決湖碑
安政4年(1857),島津斉彬は,指宿が水利に乏しく田んぼが少ないことから,池田湖の水を灌漑用水にあてることを考案した。池田湖の壁を掘削し開聞の新川とつなぐ計画だ。こうして鳥越掘削工事は始まった。しかし翌年の斉彬の死と明 […]
»2014年3月19日
吉永のモイヤマ
大きな木のある所には,神様が宿ると信じられていて,そうした場所をモイドン(森殿)とかモイヤマ(森山)と呼ぶ地域がある。モイドンやモイヤマは荒々しく厳しい神様だと伝えられる。吉永のモイヤマはイチイガシが神木。うっそうとしげ […]
»2014年3月19日
尾下の田芋田
尾下地区では,「田芋」という里芋によく似た芋が栽培されている。田芋は水田のような水のあるところで栽培され,小芋ではなく親芋を食べるのが特徴。田芋は熱帯性タロイモの仲間で,種子島以南の南の島々に広く分布する。サツマイモの伝 […]
»2014年3月19日
新永吉の棚田
新永吉の棚田は,その昔,清見城の城主であった池田信濃守(いけだしなののかみ)が,このあたりに石を積んで棚田にしたのが始まりと伝えられている。棚田の中には,豊作の神様である田の神さあがまつられ,田植えから収穫までを見守って […]
»2014年3月19日
噴気変質帯
池田湖の北東2km,標高約200mの山中にある噴気変質帯。熱水と火山ガスの作用によって,安山岩や安山岩質の凝灰岩が,白っぽいカオリンなどの粘土鉱物に変化している。熱を帯びた地面からは,もうもうと煙が立ち上る。麻袋に生卵を […]
»2014年3月19日
鬼門平
鬱蒼とした木々,その間に見える奇岩。江戸時代,「唐畫山水に似たりと称ず」と中国の山水画に例えられ,椋鳩十が「屏風岩」と表した鬼門平。高さ約200~300m,長さ約10km。池田湖の北西に延びる断崖は,約10万年前の大噴火 […]
»2014年3月19日
鬼門平の鉱山
鬼門平に沿って,金鉱床が存在する。明治から昭和30年頃まで多くの鉱山が開発され,たいへんな賑わいをみせたという。そのなかの一つに,1844年(弘化元)に発見された大谷鉱山がある。当時の技術では採鉱は困難を極め,4年後には […]
»2014年3月19日
猿の子踊り(下門・上野)
およそ260年前,今和泉島津家の領主島津忠郷は,日向から猿使いを招き,人々の苦労をなぐさめたと伝えられる。その後,猿は山の神,田の神の使いとされたことから,豊作のお祭り行事として猿の子踊りが踊られるようになった。猿役は3 […]
»2014年3月19日
枚聞神社本殿
開聞岳の麓に鎮座する,薩摩国の一の宮,枚聞(ひらきき)神社。神社の縁起には,和銅元年(708)の創建と記されている。開聞岳は「開聞神」とも表記され,噴火は開聞神の祟りと見なされており,枚聞神社がこれを祀っていた。現在の本 […]
»2014年3月19日
松梅蒔絵櫛笥附属品竝目録共 一合
松梅の蒔絵で飾られた女性の化粧箱。通称「玉手箱」。中には,小さな櫛が11本,小さな壺が1つなど23個の化粧道具が入っている。化粧箱の目録には,大永3年(1523)とあり,室町時代の高貴な女性が使ったものと推測される。国指 […]
»2014年3月19日
枚聞神社琉球扁額7点
今から約400年前,薩摩藩は琉球王国を統治し,慶長18年(1613)からは、琉球使節団の派遣が始まった。枚聞神社には,「徳偏海天(徳は海と天にゆきわたる)」等と書かれた,7枚の琉球扁額(へんがく)が奉納されている。「海門 […]
»2014年3月19日
枚聞神社神舞
古文書等によると,枚聞神社には,かつて数十種の神舞があったそうだ。現在は,剣の舞、南方の舞、中央の舞、鈿(うずめ)の舞の4つが青年団によって伝承されている。神舞は,毎年10月14日の例大祭の前夜祭で,巫女による浦安の舞と […]
»2014年3月19日
開聞岳
開聞岳は,市の南西部に位置する標高924mの活火山。今から約3,700年前の縄文時代に誕生した。複数回の噴火で溶岩や火山砕屑物などが積み重なって形成された円錐状の成層火山の頂上部に,粘性の強いマグマが盛り上がりできた溶岩 […]
»2014年3月19日
利永琉球傘踊り
その名のとおり,琉球との歴史を物語る郷土芸能だ。江戸時代,琉球使節団一行が薩摩に上る際には,山川港に滞在し,成川~大山~利永を通って枚聞神社に参詣した。利永地区の人々が一行の姿に接する機会は多かったのではないだろうか。現 […]
»2014年3月19日
石敢當
T字路などの突き当たりに設けられた,魔除けの石標。町中を徘徊する魔物が,突き当たりを直進して屋敷内に侵入するのを防ぐ役割をもっている。魔物は石敢當に当たると砕け散るという。そのルーツは古代中国で,沖縄にも多くみられる。石 […]

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