嘉永5年の水道管「石樋(いしどい)」
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嘉永5年頃(1852),約3km離れた池田湖付近から二月田温泉まで,石樋を使って飲料水を引く工事が行われた。安政4年(1857)には,二月田温泉に湯治に来ていた島津斉彬が,周辺は水の便が悪く田んぼが少ないことを見て,池田湖から灌漑用水を引く水道事業を計画。しかし工事は難航し,その完成は斉彬の死後,明治9年のことだった。
嘉永5年頃(1852),約3km離れた池田湖付近から二月田温泉まで,石樋を使って飲料水を引く工事が行われた。安政4年(1857)には,二月田温泉に湯治に来ていた島津斉彬が,周辺は水の便が悪く田んぼが少ないことを見て,池田湖から灌漑用水を引く水道事業を計画。しかし工事は難航し,その完成は斉彬の死後,明治9年のことだった。