近世・近代
スポット一覧
正龍寺が開かれた年代は不明だが,明徳元年(1390年),京都五山の虎森(こしん)和尚が再建したと伝えられる。以来数百年,多くの名僧を輩出。京都の儒家・藤原惺窩(せいか)をも驚かす学問的水準の高さを誇り,“薩摩文教の府”と […]
第二次世界大戦中,指宿には二つの震洋隊が置かれた。一つは山川長崎鼻の第53震洋隊,もう一つは指宿田良の第106震洋隊である。震洋は全長5〜6mのベニヤ板製モーターボート。爆薬を積んで敵に突っ込む特攻兵器だ。魚見漁港近くの […]
尾掛地区には明治時代まで,大隅から流れ着いた蛇を祀る「無足明神」があった。ここで, 蛇を模して足を隠した舞手が谷から現れ,神木にまといつく「無足舞」が行われたという。現在は,『三国名勝図絵』に描かれた手水鉢と思われる石造 […]
薩摩藩の財政が行き詰まる中,文政11年(1828),調所笑左衛門広郷は財政改革主任に大抜擢された。藩には500万両もの借金があったが,国産品の販売と唐物貿易を拡大し収入を増やしたり,借用書の借金の返済期間を250年に書き […]
現在残っている殿様湯跡は,天保2年(1831)に第27代薩摩藩主島津斉興によって二月田に設けられたものだ。浴槽は,お湯が4つの湯つぼを次々に回って適温になるように工夫されている。浴室には洋風のタイルが使われており,大変豪 […]
殿様湯の南側にある湯権現は,濵崎家第5代の太左衛門が創建した。権現とは,仏が日本の神に姿を変えて現れること。「湯権現」という名前は,温泉のさまざまな効き目が神仏の力によるものという信仰の表れであろう。
嘉永5年頃(1852),約3km離れた池田湖付近から二月田温泉まで,石樋を使って飲料水を引く工事が行われた。安政4年(1857)には,二月田温泉に湯治に来ていた島津斉彬が,周辺は水の便が悪く田んぼが少ないことを見て,池田 […]
殿様湯跡前の二反田川の川岸には,天保14年(1843)に造られた石積みの堤防が残っている。当時は,二反田川の河口から約3kmにわたって7段の石積みが続いていた。試算でも約6万個の石が必要になる大工事だ。島津の殿様は,屋形 […]
安政5年(1858),二月田に湯治に来た島津斉彬は,指宿の大干ばつを目の当たりにし,将来に備えて,東郷吉左衛門らに97の井戸を掘らせた。翌年,井戸を掘った記念としてこの掘井碑が建立された。その後,碑文が読みづらくなったた […]
第8代濵﨑太平次は,文化11年(1814),湊のヤマキという商家に生まれた。薩摩藩の後ろ盾もあって造船業や海運業で活躍。日本最大級の船団を率いて巨万の冨を築き,調所笑左衛門の右腕として,薩摩藩の財政再建に大きな役割を果た […]
宮ヶ浜の海岸にある,三日月形の防波堤(捍海隄:かんかいてい)。指宿小学校に残る石碑,指宿捍海隄記には,この防波堤建設のいきさつが記されている。「宮ヶ浜の海は遠浅で,船を安全に停泊させるところがなく,台風で船が転覆する恐れ […]
湊川橋は,江戸時代に造られた石橋。石を丁寧に加工し,それをアーチ状に組み合わせている。第27代薩摩藩主島津斉興の家老であった,調所笑左衛門広郷が,肥後の石工,岩永三五郎を招いて完成させたものという。アーチには天保15年( […]























