頼宋塚・九郎塚
- 歴史
- 近世・近代
- 枚聞神社
地元の人々に頼宋塚(デスドン),九郎塚(クロドン)と呼ばれる2つの塚には,次のような話が伝えられている。「頴娃6代城主兼堅の子・九郎と,兼堅の側室の子・小四郎という弟との間で,頴娃家の相続争いが起こった。小四郎の母親は九郎をひどくいじめ,事情を知った島津貴久は,九郎に同情し自分の近くに住まわせた。しかし貴久が亡くなると,頴娃家の実権を握っていた小四郎の母親は,小四郎を城主にしようと再び謀る。意を決した九郎は,元亀2年(1571)7月13日枚聞神社に立てこもり,九郎を支持する農民は,7月17日,頴娃城に攻め
- 指定
- 市指定有形文化財
- 住所
- 開聞十町2519-4
より大きな地図で エリアで散策:枚聞神社〜竜宮神社の玉手箱〜 を表示