山川港〜国際貿易港に吹く風〜
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山川港をめぐる歴史は波瀾万丈だ。1547年,ジョルジェ・アルバレスが著した『日本報告』で,初めて西欧諸国に紹介された日本は山川であった。豊 臣秀吉が朝鮮半島に侵攻した文禄・慶長の役では百余の軍船が山川港を出航した。江戸時代には,鎖国体制の中,琉球貿易の窓口となり藩港として薩摩藩を支え た。山川港は,常に歴史という荒波にさらされていたのである。
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山川湾は約5,700年前の火山噴火でできた。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁。東側の火口壁が壊れて海水が流入し現在の形になった。湾曲した入り江で,湾内は砂嘴によって外海と区切られている。このため,湾内には波が入り […]
江戸時代,島津氏は山川・佐多・吉野の三ヵ所に薬草園を設け,薬用植物の栽培に努めた。そのうち最も古いのが,万治2年(1659)に開設された山川だ。今も残るリュウガンは,当時栽培されたものといわれ,推定年齢300年以上。 『 […]
正龍寺が開かれた年代は不明だが,明徳元年(1390年),京都五山の虎森(こしん)和尚が再建したと伝えられる。以来数百年,多くの名僧を輩出。京都の儒家・藤原惺窩(せいか)をも驚かす学問的水準の高さを誇り,“薩摩文教の府”と […]
“石塔婆”とは,供養のために建てられたいわば石の記念碑のこと。この塔婆には,阿弥陀三尊・釈迦三尊・金胎大日如来を意味する梵字が刻まれている。銘文によれば,□源上人なる人物が,戦国時代の永禄10年(1567年),山川に21 […]
山川庁舎を取り囲む石塀は,江戸時代のもの。かつてここには,山川郷の政治を司る地頭仮屋があった。地頭仮屋には,政治全般を行う曖(あつかい。郷土年寄とも言う),事務や検察,訴訟などの仕事を担う横目,郷内の武士の指導や仮屋の警 […]
河野家は江戸時代,薩摩藩の貿易に一役買った山川の豪商。代々「覚兵衛」と名乗る家柄だった。奄美・琉球から得た黒砂糖や交易品を大阪方面に運び,財を成したと伝えられる。河野家の墓は福元の墓地にあり,初代から7代までの歴代覚兵衛 […]
河野家は江戸時代,薩摩藩の貿易に一役買った山川の豪商。代々「覚兵衛」と名乗る家柄だった。奄美・琉球から得た黒砂糖や交易品を大阪方面に運び,財を成したと伝えられる。河野家の屋敷跡には山川石でできた石垣が今も残る。その前の通 […]
その重さ97.6㎏。ちょっとやそっとでは動かない。昔,村の青年たちはこの石を持ち上げ,担ぎ,運び,力を競うものだった。力石は一つの通過儀礼。ほぼ米俵ほどの重さの石を持ち運ぶことは,一人前の証だったのだ。力石は,戦前には山 […]
山川の利永地区で1月(第3日曜)に行われるメンドンは,数ある伝統行事の中でもかなりのインパクトをもつ奇祭。伊勢講の神輿が集落内を回る途中,グロテスクに変装したメンドンたちが現れ,伊勢神のご利益に預かろうと集まった人々を奇 […]
永禄9年(1566年),当時成川を治めていた鎌田政成によって建てられた。石殿は高さ104cm。なかには観音を彫った板石が納められている。屋根には次のような銘文が記されている。「十一面観音を建立し奉る。願主は鎌田但馬守,法 […]
南方神社の神舞(カンメ)は,“慶安2年(1649年),島津久光の前で演じられた”との記録があることから,360年以上前には成立していたことがわかる,伝統ある舞だ。現在では,保存会によって鬼神舞,踏剣など14の舞が伝承され […]
板碑とは,仏像や仏教に関する文字を刻んだ石塔のこと。鎌倉時代に関東で誕生し,武士の移住に伴って全国に広まった祈りの形だ。成川板碑のある高台は,昔成川を治めていた鎌田氏の居城跡と伝えられ,今でも空堀が残る。板碑には,“西国 […]
山川の福元周辺でしか採れない,淡い黄色をした石。学名は溶結凝灰岩。見た目が美しく,のこぎりで切れるほど柔らかいが,風化に強いため,石垣や墓石として用いられた。遠くは奄美諸島や京都まで運ばれている。江戸時代には,島津家の歴 […]
成川遺跡は,弥生時代の中頃から古墳時代に至る巨大な墓地。昭和32年に発見され,発掘調査の結果,土葬された300体を超える人骨に加え、鉄製の刀や剣などおびただしい数の副葬品が見つかった。古墳は造られておらず,土こう墓(土葬 […]
T字路などの突き当たりに設けられた,魔除けの石標。町中を徘徊する魔物が,突き当たりを直進して屋敷内に侵入するのを防ぐ役割をもっている。魔物は石敢當に当たると砕け散るという。そのルーツは古代中国で,沖縄にも多くみられる。石 […]
その名のとおり,琉球との歴史を物語る郷土芸能だ。江戸時代,琉球使節団一行が薩摩に上る際には,山川港に滞在し,成川~大山~利永を通って枚聞神社に参詣した。利永地区の人々が一行の姿に接する機会は多かったのではないだろうか。現 […]