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指宿駅周辺〜古代の息吹と太平次〜

橋牟礼川遺跡は,日本で最初に縄文土器が弥生土器より古いことを証明した遺跡。開聞岳の噴火で埋もれた村が発見されたことから「東洋のポンペイ」と も呼ばれている。明治維新の原動力となった薩摩藩を海運業で支えていたのが,濵﨑太平次。日本の近代化を推し進めた陰の功労者とも言える。古代から幕末ま で,日本史を語るのに欠かせない歴史が残るエリアだ。


スポット一覧

橋牟礼川遺跡は,十二町下里にある。大正7・8年に京都帝国大学教授の濱田耕作博士らの発掘によって,開聞岳の火山灰をはさんで上から弥生土器,下から縄文土器が出土することが確認され,日本で初めて縄文土器が弥生土器より古いことが […]

弥次ヶ湯古墳は,国内最南端の古墳。5世紀後半〜6世紀前半のものと考えられる。円墳で,墳丘の直径は約17.5m,周りを巡る溝の幅は約2mを測る。弥次ヶ湯古墳の発見までは,川内川より南の薩摩半島は古墳の「空白地帯」と考えられ […]

敷領遺跡は,十町小字敷領一帯に広がる。「糄」(やきごめ),「智」と墨で書かれた土器や硯(すずり),整然と並ぶ建物群などが発見されている,奈良〜平安時代の役所の候補地だ。中でも注目されるのは,将棋の駒のような形をした「甲臺 […]

第8代濵﨑太平次は,文化11年(1814),湊のヤマキという商家に生まれた。薩摩藩の後ろ盾もあって造船業や海運業で活躍。日本最大級の船団を率いて巨万の冨を築き,調所笑左衛門の右腕として,薩摩藩の財政再建に大きな役割を果た […]

光明禅寺に安置されている阿弥陀如来立像は,鎌倉時代の製作様式を引き継いだ作品で,中央の仏師の作品と考えられている。穏やかな面立ちと優美な衣の表現が印象的で,像の全面に黒漆が,その上から赤色の顔料が塗られた丁寧な造りである […]

十町南迫田の光明禅寺に「薩州湯豊宿郡…」と刻まれた板碑がある。天文12年(1543)に建立された当時は「指宿」を「湯豊宿」と表記していたことがわかる。「湯が豊かな宿」。中世には,すでに温泉の町として知られていたことがうか […]

木造千手観音坐像は,十二町小田の大円寺跡と推定される墓地の一角に安置されている。廃仏毀釈の際,村の青年達の手で持ち出され,隠されていたため,壊されずにすんだという。現在も大切に保管され,地元の人々に信仰されている。

十二町中小路の金毘羅神社の鳥居の脇にある板碑の側面には,4人の仏の名前が太い梵字で刻まれている。供養塔の1種であろう。東面:摩利支天 身体を守り戦いに勝つための仏。 西面:阿弥陀如来 極楽浄土に導く仏。 南面:阿閃如来 […]

海商・濵﨑家第5代の湊太左衛門は、大変信心深い人物だったようで、寛政10年(1798)魚見岳南面の岩窟に私財を投じて風穴神社を創建した。また,湯権現の創建も太左衛門による。湊地区にある稲荷神社の創建も太左衛門が行ったと伝 […]

太平次公園にあるアコウの巨樹は,推定樹齢300年。もともとは江戸時代に五人番が置かれた大渡海岸に生えていた。五人番とは,山川港に入る異国船を見張る場所。5人で見張りをしていたから「五人番」と言う。このアコウは平成18年の […]

砂むし温泉のある摺ヶ浜。『みだれ髪』で知られる与謝野晶子も訪れ,「白波の下に熱砂の隠さるる不思議に逢えり指宿にきて」と詠んだ。近年,摺ヶ浜の西側にある山には,90℃を越す泉源がいくつもあり,熱水が海岸へ流下して自然湧水し […]

島津の殿様は,船で二反田川をさかのぼり,殿様湯まで湯治に来ていたという。天保14年(1843)には,指宿港の北側約1㎞のところにある二反田川の河口,通称「潟口」に船溜りが築造される工事が行われており,現在もその一部が残っ […]