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中世

history-chusei中世の指宿は,武士たちの群雄割拠の時代。松尾城を中心としていくつもの山城が築かれ,争いが繰り広げられた。当時指宿を支配した指宿氏が記した「指宿文書」は,鎌倉時代以降の指宿を伝える重要文書だ。また,市域には板碑などの石造物が多く残っており,当時の人々の祈りや信仰を伺い知ることができる。

山川港は中世からすでに天然の良港として栄えており,外国船もやってきた。ポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレスは山川に滞在し,かの有名な宣教師ザビエルの依頼を受けて『日本報告』を記した。これは西欧人が書いた,初の日本滞在記。ヨーロッパに初めて紹介された日本は,“山川”だったのだ。

スポット一覧

指宿関連で有名な古文書に,「指宿文書」というものがある。指宿文書は,指宿を支配した指宿氏が伝える鎌倉時代以降の重要文書だ。内容は,鎌倉幕府から出された裁判の判決文や,揖宿郡内で度々激戦があったことを記すものなど,様々。中 […]

六地蔵幢は,六種類の地蔵が六道(地獄道,餓鬼道,畜生道,修羅道,人間道,天道の6つの世界)を輪廻転生するすべての生きものを救うとする説から生まれたもので,室町時代に多く造られた。小川の六地蔵幢には,豪族と思われる法名「雲 […]

鰻地蔵板碑は,南北朝時代の元徳4年(1332)に造られたもので,指宿市内の板碑としては最も古い。表面には「地蔵菩薩」を示す梵字が刻まれている。南北朝時代,日本には天皇が二人おり,日本各地で南朝と北朝に分かれて争いが起こっ […]

十町南迫田の光明禅寺に「薩州湯豊宿郡…」と刻まれた板碑がある。天文12年(1543)に建立された当時は「指宿」を「湯豊宿」と表記していたことがわかる。「湯が豊かな宿」。中世には,すでに温泉の町として知られていたことがうか […]

“石塔婆”とは,供養のために建てられたいわば石の記念碑のこと。この塔婆には,阿弥陀三尊・釈迦三尊・金胎大日如来を意味する梵字が刻まれている。銘文によれば,□源上人なる人物が,戦国時代の永禄10年(1567年),山川に21 […]

板碑とは,仏像や仏教に関する文字を刻んだ石塔のこと。鎌倉時代に関東で誕生し,武士の移住に伴って全国に広まった祈りの形だ。成川板碑のある高台は,昔成川を治めていた鎌田氏の居城跡と伝えられ,今でも空堀が残る。板碑には,“西国 […]

永禄9年(1566年),当時成川を治めていた鎌田政成によって建てられた。石殿は高さ104cm。なかには観音を彫った板石が納められている。屋根には次のような銘文が記されている。「十一面観音を建立し奉る。願主は鎌田但馬守,法 […]

光明禅寺に安置されている阿弥陀如来立像は,鎌倉時代の製作様式を引き継いだ作品で,中央の仏師の作品と考えられている。穏やかな面立ちと優美な衣の表現が印象的で,像の全面に黒漆が,その上から赤色の顔料が塗られた丁寧な造りである […]

松尾城は,鎌倉時代から江戸時代初期までの400年間,指宿の政治の中心を担っていた城。自然地形を巧みに利用し,それに手を加えながら空堀や土塁を築いて防御を固めている。山城であり,かつ錦江湾に面した海城でもある点が特徴だ。最 […]

宮ヶ浜には,「長勝院」(ちょうしょういん)という寺に関連する五輪塔と板碑が残っている。五輪塔のある場所には元々,長“松”院という名前の寺があったが,慶長14年(1609年),琉球出兵の際に,島津義弘が息子・家久の戦いの勝 […]

正面をみると,禅宗の悟りのシンボル「○」の中に「妙」の文字が刻まれている。碑文には「松尾城の城主である津曲美濃守(つまがりみのうのかみ)が,天文16年2月20日から大みそかまでの間,僧侶10人に法華経の経典千部を全部読ま […]