鳥越堀切と決湖碑
- 歴史
- 近世・近代
- 池田湖
安政4年(1857),島津斉彬は,指宿が水利に乏しく田んぼが少ないことから,池田湖の水を灌漑用水にあてることを考案した。池田湖の壁を掘削し開聞の新川とつなぐ計画だ。こうして鳥越掘削工事は始まった。しかし翌年の斉彬の死と明治維新により工事中断。その後,明治5年に県令大山綱良がこの工事を再開。莫大な工事費と作業員11万人余りを費やし明治9年に完成させた。この工事によって池田湖は初めて流出河川と繋がった。また,水位が約三m低下。池崎付近が陸地になり今に至る。決湖碑には,工事の経緯が詳しく刻まれている。
- 指定
- 市指定史跡・市指定有形文化財
- 住所
- 開聞仙田1685-6,1705-10
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