観葉植物
- 産業
- 山の幸
指宿での観葉植物の栽培は大正7年,鹿児島大学農学部付属指宿植物試験場の設置とともに始まった。戦後,その生産規模は徐々に拡大,温泉熱を利用した栽培方法も研究され,昭和53年(1978)には,当時,東洋一といわれた観葉植物団地が建設された。現在,その出荷量は市全体でおよそ100万鉢。鉢もの生産量では日本一のまちだ。指宿の各ホテルのみならず,全国各地に出荷され,人々の心と体を癒している。

指宿での観葉植物の栽培は大正7年,鹿児島大学農学部付属指宿植物試験場の設置とともに始まった。戦後,その生産規模は徐々に拡大,温泉熱を利用した栽培方法も研究され,昭和53年(1978)には,当時,東洋一といわれた観葉植物団地が建設された。現在,その出荷量は市全体でおよそ100万鉢。鉢もの生産量では日本一のまちだ。指宿の各ホテルのみならず,全国各地に出荷され,人々の心と体を癒している。