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近世・近代

history-kinsei_kindai近世・近代の指宿では,様々なドラマが起こっていた。

幕末から明治維新にかけては,「今和泉島津家」の篤姫は将軍家に嫁ぎ,徳川家の存続に尽くした。第27代薩摩藩主島津斉興,第28代斉彬は,指宿で数々の公共事業を行った。海商濵﨑太平次や河野覚兵衛は,藩港の山川港を拠点に黒砂糖貿易や密貿易で富を築き,財政難にあえぐ薩摩藩を支えた。

また,指宿の温泉は薩摩の偉人たちにも愛されていた。島津家代々の藩主や西郷隆盛が温泉地に滞在したとの記録が残っている。
市域には,激動の時代や,偉人たちの休日を偲ばせる文化財が多く残っている。

*もっとくわしく知りたい方へ  篤姫のページ / 太平次のページ

スポット一覧

河野家は江戸時代,薩摩藩の貿易に一役買った山川の豪商。代々「覚兵衛」と名乗る家柄だった。奄美・琉球から得た黒砂糖や交易品を大阪方面に運び,財を成したと伝えられる。河野家の屋敷跡には山川石でできた石垣が今も残る。その前の通 […]

尾掛地区には明治時代まで,大隅から流れ着いた蛇を祀る「無足明神」があった。ここで, 蛇を模して足を隠した舞手が谷から現れ,神木にまといつく「無足舞」が行われたという。現在は,『三国名勝図絵』に描かれた手水鉢と思われる石造 […]

薩摩藩の財政が行き詰まる中,文政11年(1828),調所笑左衛門広郷は財政改革主任に大抜擢された。藩には500万両もの借金があったが,国産品の販売と唐物貿易を拡大し収入を増やしたり,借用書の借金の返済期間を250年に書き […]

現在残っている殿様湯跡は,天保2年(1831)に第27代薩摩藩主島津斉興によって二月田に設けられたものだ。浴槽は,お湯が4つの湯つぼを次々に回って適温になるように工夫されている。浴室には洋風のタイルが使われており,大変豪 […]

殿様湯の南側にある湯権現は,濵崎家第5代の太左衛門が創建した。権現とは,仏が日本の神に姿を変えて現れること。「湯権現」という名前は,温泉のさまざまな効き目が神仏の力によるものという信仰の表れであろう。

嘉永5年頃(1852),約3km離れた池田湖付近から二月田温泉まで,石樋を使って飲料水を引く工事が行われた。安政4年(1857)には,二月田温泉に湯治に来ていた島津斉彬が,周辺は水の便が悪く田んぼが少ないことを見て,池田 […]

殿様湯跡前の二反田川の川岸には,天保14年(1843)に造られた石積みの堤防が残っている。当時は,二反田川の河口から約3kmにわたって7段の石積みが続いていた。試算でも約6万個の石が必要になる大工事だ。島津の殿様は,屋形 […]

安政5年(1858),二月田に湯治に来た島津斉彬は,指宿の大干ばつを目の当たりにし,将来に備えて,東郷吉左衛門らに97の井戸を掘らせた。翌年,井戸を掘った記念としてこの掘井碑が建立された。その後,碑文が読みづらくなったた […]

第8代濵﨑太平次は,文化11年(1814),湊のヤマキという商家に生まれた。薩摩藩の後ろ盾もあって造船業や海運業で活躍。日本最大級の船団を率いて巨万の冨を築き,調所笑左衛門の右腕として,薩摩藩の財政再建に大きな役割を果た […]

第二次世界大戦中,指宿には二つの震洋隊が置かれた。一つは山川長崎鼻の第53震洋隊,もう一つは指宿田良の第106震洋隊である。震洋は全長5〜6mのベニヤ板製モーターボート。爆薬を積んで敵に突っ込む特攻兵器だ。魚見漁港近くの […]

今和泉島津家は,延享元年(1744年),島津家の跡継ぎが途絶えぬよう設けられた「一門家」のひとつ。今和泉島津家墓地には,初代の忠郷から忠温,忠厚,忠喬,忠剛(篤姫の父),忠冬(篤姫の兄)までの6代の殿様とその奥方が祀られ […]

今和泉島津家屋敷は,宝暦4年(1854年),初代の忠郷が建てたもの。推定される面積は,なんと約4300坪。現在建物は残っていないが,今和泉小学校の海岸側には当時の石垣の一部や松林(隼人松原)が,校庭には井戸が残っていて, […]